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江戸三百藩HTML便覧の目的

このホームページの目的は江戸時代の「藩」「大名家」についてあらゆる情報をHTMLのリンクの機能を最大限に利用して簡便に検索表示することはできないだろうかという試みです。

特に大名の転移封、藩主の養嗣子関係など、紙媒体では煩雑になりがちな情報を効果的に表示できればと考えて作り始めたものです。リンクを使って、大名家の転封や実父の系譜をたどっていこうという試みです。

普請中の部分が多いですが、遠大な計画ですので、ご容赦下さい。
来春くらいまでには一応の形を整えたいと考えています。

とりあえず、江戸期を通じて存在した藩を優先して作業するつもりで、短期間存在した藩や、支藩としての新田藩等は後回しにしており、戊辰戦争の考証結果生じた藩や転封は、かえってわかりにくくなりますので割愛するつもりです。

一通りの形が整いましたら、藩主の生没年や、藩主在任の年も、追々入れていきたいと考えています。

藩史の部分も、非常に端折ったところと、結構書いたところのムラがありますが、徐々に充実整理させていきたいと考えています。

結果的に大名家の人事異動表を作っている感じですが、そのことが江戸幕府の政治史を映し出している気がします。
それぞれの転封、家督相続に政治的思惑、ドラマがあり、何故、この藩はここで移動させられたのか、なぜこの人物を養子に迎えたか、などを考えていくと興味が尽きません。

基本的には関ヶ原処分後から、戊申戦争直前までの藩の動向を見てみたいと思っていますが、関東の諸藩についてはもう少し前から書き始めているところもあります。

ここでは藩という封地(場所)を切り口にしておりますが、大名家という「家」を切り口にしたものも、できたらと思っています。


家紋データ提供:Mr.Koichi Akiyama http://www.bekkoame.or.jp/~acky/

一部、ken究所長自作。

自由に使える家紋大辞典(グラフィックス社)よりスキャン。
(これは書名通り、営利以外は自由使用ができるものです)

参考文献:

三百藩藩主人名辞典(新人物往来社)

ふるさとの藩(朝日出版社)

江戸三百藩藩主総覧(新人物往来社)

江戸三百藩藩主列伝(新人物往来社)

江戸大名総覧(新人物往来社)

新・藩史辞典(秋田書店)

日本系譜総覧(講談社学術文庫)

江戸諸藩要覧(東洋書院)

藩史辞典(秋田書店)

新版 漢語林(大修館書店)

その他参考:NiftyServe歴史フォーラム(地域史)内、11番会議室「家系・系図の部屋」(FREKIL)のログ

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藩とは何か

誤解を恐れずに言い切れば、1万石以上の所領を持つ大名の領地、ということになる。

徳川幕府の家臣のうち、1万石を越える領地を持つものを大名と呼び、その領地を藩と呼ぶ。

例外はいくつかあり、蝦夷松前福山の松前家は石高は無高だが、1万石格で、大名扱い、下野喜連川の喜連川家は5千石だが、万石扱いで同じく藩として扱う。

また、大大名の家臣(陪臣)には、当然1万石を越えるものもいるが、陪臣は原則として大名ではない。ただし、御三家の付家老5家については、藩としてカウントする場合もある。

岩国の吉川家は実質的には大名、藩であるが、毛利宗家がそれを認めず、複雑な地位である。

八代将軍吉宗が創出した御三卿、一橋、田安、清水家は10万石ということになっているが、具体的な領地があるわけでなく、家臣も幕臣の出向のみで、プロパーの家臣はおらず、大名家・藩とは考えないのが普通だ。

徳川将軍家自身は大名・藩とは考えられていない。

一般に三百諸侯と言うが、延べで数えると五百数十藩存在し、江戸期を通じ、概ね270藩くらいが平均であったようだ。

親藩、譜代、外様の区別があり、親藩は22藩、すなわち尾張、紀伊、水戸の御三家を筆頭に、御三家の親戚連枝大名が7藩、秀忠の兄結城秀康に始まる越前松平系が8藩、家光の弟会津松平家、越智松平家、久松松平家が二家である。

譜代とは関ヶ原以前から徳川家の家臣だった大名で、逆の見方をすると豊臣政権時に、豊臣家から見て陪臣だったもの、ということもできる。豊臣家の直大名だったものが、徳川幕府において外様となる。
また、外様であったものが譜代格を得る場合もあった。

国主、城主、無城(陣屋)の別がある。

ただし「何々藩」という言い方、「藩」という言葉も幕末に一般化したようで、それまではあまり、文書や会話でも日常的に使われてはいなかったようだ。何々様御家中、何々様御領分、といったような概念だったと思われる。

廃藩置県といった言葉から、今の県に相当するような、一定の連続した区域であるかのような印象を持つが、国主級の大藩はさておき、中小藩は、実態としては飛び地領が複雑に入り組み、石高はその合計を表しているに過ぎない。藩名・石高が不変でも、領地の付替えは頻繁に行われており一定ではない。